ストーリー16

琥珀のように、時を越えていく、
幸せをつくろう。

下田 有加

久慈琥珀株式会社
ウェディングプランナー・久慈琥珀博物館サブリーダー

ひたむきに一心に、
夢に向かって一直線。

 嫁ぐ娘に琥珀を持たせると、一生幸せになれる。琥珀にはこんな言い伝えがあるのをご存知ですか。琥珀は樹脂が化石になった宝石ですが、数千万年もの時を経た太古からの贈り物であり、大切な人の幸せを願うパワーストーン。それは、この久慈琥珀で結婚式を挙げる新郎新婦へ、私たちが託す願いにも通じているような気がします。
 私がウェディングプランナーという仕事を初めて知ったのは、中学生の時。たまたま母が教えてくれたんですが、なぜかすごく印象に残って。どんな仕事なのかもわからないまま、直感的に「ウェディングプランナーになる!」と心に決めたんです。私は小さい頃から、頑固で、負けず嫌いで、泣き虫で、一度こうと決めたらテコでも動かない性格。高校生になると、プランナーになりたい一心で、業界のカリスマと言われる人たちに「どうしたらなれますか?」とメールを送ったりして。今考えると恐れ多いのですが、少しでも夢に近づきたいと一生懸命でしたね。

ひたむきに一心に、
夢に向かって一直線。

 嫁ぐ娘に琥珀を持たせると、一生幸せになれる。琥珀にはこんな言い伝えがあるのをご存知ですか。琥珀は樹脂が化石になった宝石ですが、数千万年もの時を経た太古からの贈り物であり、大切な人の幸せを願うパワーストーン。それは、この久慈琥珀で結婚式を挙げる新郎新婦へ、私たちが託す願いにも通じているような気がします。
 私がウェディングプランナーという仕事を初めて知ったのは、中学生の時。たまたま母が教えてくれたんですが、なぜかすごく印象に残って。どんな仕事なのかもわからないまま、直感的に「ウェディングプランナーになる!」と心に決めたんです。私は小さい頃から、頑固で、負けず嫌いで、泣き虫で、一度こうと決めたらテコでも動かない性格。高校生になると、プランナーになりたい一心で、業界のカリスマと言われる人たちに「どうしたらなれますか?」とメールを送ったりして。今考えると恐れ多いのですが、少しでも夢に近づきたいと一生懸命でしたね。

下田有加さん
エピード

ウェディングプランナーに
なって変わった、涙の色。

 最初に就職したのは、愛知県のブライダル会社でしたが、プランナーのスキルを3年間学んだら岩手に帰ろうと決めていました。家族と離れたくなかったですし、故郷のゆったりとした空気や地元の人たちの温かな人柄が大好きだったんです。だから、就職試験の時に「あなたが企画してみたい結婚式を絵に描いてください」という課題が出た時は、久慈琥珀が運営する「レストランくんのこ」を会場に、琥珀をテーマにした結婚式を描きました。当時から、いずれは久慈琥珀でウェディングを手がけたいと考えていたんです。
 愛知県のブライダル会社では、プランナーのいろはをすべて叩き込まれました。大変なことも多かったのですが、その反面、結婚式の当日はすごく幸せで。なぜなら、新郎新婦もご家族も招待客も、みんなが幸せになれる最高の瞬間じゃないですか。おふたりをお見送りする門出のシーンでは、嬉しくて涙が止まらなかったですね。
 辛くて泣いて、嬉しくて泣いて。何度涙をこぼしたかわかりませんが、ひとの人生に関わり、幸せを届けることができるプランナーって、とても素敵な仕事。結婚式を重ねるごとに、その思いが強くなりました。

ウェディングプランナーに
なって変わった、涙の色。

 最初に就職したのは、愛知県のブライダル会社でしたが、プランナーのスキルを3年間学んだら岩手に帰ろうと決めていました。家族と離れたくなかったですし、故郷のゆったりとした空気や地元の人たちの温かな人柄が大好きだったんです。だから、就職試験の時に「あなたが企画してみたい結婚式を絵に描いてください」という課題が出た時は、久慈琥珀が運営する「レストランくんのこ」を会場に、琥珀をテーマにした結婚式を描きました。当時から、いずれは久慈琥珀でウェディングを手がけたいと考えていたんです。
 愛知県のブライダル会社では、プランナーのいろはをすべて叩き込まれました。大変なことも多かったのですが、その反面、結婚式の当日はすごく幸せで。なぜなら、新郎新婦もご家族も招待客も、みんなが幸せになれる最高の瞬間じゃないですか。おふたりをお見送りする門出のシーンでは、嬉しくて涙が止まらなかったですね。
 辛くて泣いて、嬉しくて泣いて。何度涙をこぼしたかわかりませんが、ひとの人生に関わり、幸せを届けることができるプランナーって、とても素敵な仕事。結婚式を重ねるごとに、その思いが強くなりました。

下田有加さん
エピード

理想と現実の間。
着地点を探して悩む日々。

 きっちり3年で愛知の会社を辞めた私は、岩手に戻って久慈琥珀に転職。現在は、久慈琥珀博物館とレストランくんのこで2つの仕事を兼務しています。博物館では、館内の受付や案内、企画展のプランニングを。レストランでは、ウェディングプランナーとして宣伝・営業・打ち合わせ・当日の仕切りまで、すべて一人で担当しています。
 故郷が大好きで戻ってきたのですが、仕事の壁になったのが「ここは久慈だから」という理由でした。会場の広さをはじめ、映像も照明もできることに限りがあって、思うような演出ができない。転職して1年ぐらいは理想と現実のギャップに悩み、もがきました。でも、その一方で、お客様が求めるものは「久慈らしさ」だと気がつきました。久慈出身で遠方に暮らすお客様にとって、結婚式はご家族のため。祖父母を呼びたいとか、アットホームな式にしたいとか、ご家族が喜んでくれることを一番に考える方が多いんです。私の仕事は、できるだけ新郎新婦の気持ちを汲み取って、ベストな形を提案すること。会場との折り合いをつけながら、ギリギリまで模索します。妥協せずに、満足いただける着地点を探して。

理想と現実の間。
着地点を探して悩む日々。

 きっちり3年で愛知の会社を辞めた私は、岩手に戻って久慈琥珀に転職。現在は、久慈琥珀博物館とレストランくんのこで2つの仕事を兼務しています。博物館では、館内の受付や案内、企画展のプランニングを。レストランでは、ウェディングプランナーとして宣伝・営業・打ち合わせ・当日の仕切りまで、すべて一人で担当しています。
 故郷が大好きで戻ってきたのですが、仕事の壁になったのが「ここは久慈だから」という理由でした。会場の広さをはじめ、映像も照明もできることに限りがあって、思うような演出ができない。転職して1年ぐらいは理想と現実のギャップに悩み、もがきました。でも、その一方で、お客様が求めるものは「久慈らしさ」だと気がつきました。久慈出身で遠方に暮らすお客様にとって、結婚式はご家族のため。祖父母を呼びたいとか、アットホームな式にしたいとか、ご家族が喜んでくれることを一番に考える方が多いんです。私の仕事は、できるだけ新郎新婦の気持ちを汲み取って、ベストな形を提案すること。会場との折り合いをつけながら、ギリギリまで模索します。妥協せずに、満足いただける着地点を探して。

下田有加さん
エピード

結婚式は、輝きの出発点。

 ここで初めて結婚式を手がけたのは、昨年の秋。ウェディングプランナーとして仕事をするのは1年半ぶりだったので、とにかく必死で、なにをどうやったか覚えていないくらい。でも、大好きな門出のシーンで新郎新婦をお見送りした時、ああ、やっと自分の居場所に戻ってこれた…と、嬉しさがこみ上げてきたのを覚えています。
 この仕事は結婚式がゴールのように思うかもしれませんが、そうではありません。お客様の人生の中に私という存在が刻まれ、私の中にもお客様の人生が刻まれて、ずっと続いていくもの。琥珀のように時間を越えて、輝きを増していくものだと思うんです。だからこそ、私はこの喜びをスタッフみんなと共有していきたい。すぐにはできなくても、みんなでひとつの結婚式をつくり上げ、関わった全員に「結婚式っていいな」と少しでも感じてもらえたら、次につながっていくはずです。
 今はまだ、地域の式場のひとつでも、いつかは「久慈琥珀のレストランで」と真っ先に指名してもらえるように。ここから、たくさんの新郎新婦に幸せを贈ることができたら素敵ですね。

結婚式は、輝きの出発点。

 ここで初めて結婚式を手がけたのは、昨年の秋。ウェディングプランナーとして仕事をするのは1年半ぶりだったので、とにかく必死で、なにをどうやったか覚えていないくらい。でも、大好きな門出のシーンで新郎新婦をお見送りした時、ああ、やっと自分の居場所に戻ってこれた…と、嬉しさがこみ上げてきたのを覚えています。
 この仕事は結婚式がゴールのように思うかもしれませんが、そうではありません。お客様の人生の中に私という存在が刻まれ、私の中にもお客様の人生が刻まれて、ずっと続いていくもの。琥珀のように時間を越えて、輝きを増していくものだと思うんです。だからこそ、私はこの喜びをスタッフみんなと共有していきたい。すぐにはできなくても、みんなでひとつの結婚式をつくり上げ、関わった全員に「結婚式っていいな」と少しでも感じてもらえたら、次につながっていくはずです。
 今はまだ、地域の式場のひとつでも、いつかは「久慈琥珀のレストランで」と真っ先に指名してもらえるように。ここから、たくさんの新郎新婦に幸せを贈ることができたら素敵ですね。

下田有加さん
メッセージ
パーソナル情報

久慈琥珀株式会社

久慈産琥珀は、バルト、ドミニカと並ぶ世界三大産地の中でも、最古の8500万年前のもの。自社鉱脈から採掘し、加工・販売までを一貫して手がける国内唯一の琥珀専門ジュエラーです。製品は国内主要百貨店や岩手県内の観光施設などで販売されており、最近では当社独自の「リファインドアンバー技術」が研究開発され、様々な新商品開発に取り組んでいます。 1984(昭和59)年に、琥珀資料館(現久慈琥珀博物館)オープン。琥珀のすべてがわかる博物館のほか、直営店やレストランなども運営し、企画展や体験イベントなどの催事も行っています。

会社情報

〒028-0071 久慈市小久慈町19-156-133/TEL:0194-59-3821/代表者:代表取締役 新田久男/設立:1981年9月(創業:1982年4月)/資本金:4,000万円/琥珀装飾品の製造加工ならびに販売、琥珀博物館の運営、レストランの運営/従業員数:63名

22の物語

メッセージ
パーソナル情報

久慈琥珀株式会社

久慈産琥珀は、バルト、ドミニカと並ぶ世界三大産地の中でも、最古の8500万年前のもの。自社鉱脈から採掘し、加工・販売までを一貫して手がける国内唯一の琥珀専門ジュエラーです。製品は国内主要百貨店や岩手県内の観光施設などで販売されており、最近では当社独自の「リファインドアンバー技術」が研究開発され、様々な新商品開発に取り組んでいます。 1984(昭和59)年に、琥珀資料館(現久慈琥珀博物館)オープン。琥珀のすべてがわかる博物館のほか、直営店やレストランなども運営し、企画展や体験イベントなどの催事も行っています。

会社情報

〒028-0071 久慈市小久慈町19-156-133/TEL:0194-59-3821/代表者:代表取締役 新田久男/設立:1981年9月(創業:1982年4月)/資本金:4,000万円/琥珀装飾品の製造加工ならびに販売、琥珀博物館の運営、レストランの運営/従業員数:63名

22の物語